テレビ番組で、「どっきり」をたまにやってる。

どっきりは、人を欺いて、驚かして、恥かかせて、笑う、という流れだ。私はこれを性悪が作って、性悪が観る、しょうもない番組だと思っていた。

でも、最近ふと、思った。どっきりって必要なんじゃないか、と。

どっきりは、芸能人にだけ仕掛けられるものかと思いきや、最近は一般人(どれだけ裏で手を回してるかわからないが)にも仕掛けられている。

どっきりから得られるのは、現実が現実ではない場合もあるよ、という教訓だと思う。

いつも何気なくやり過ごしている日々も、実は自分の思い込みでできているかもしれない。嘘でコッチコチにぬったくられた姿が目の前に現れているのかもしれない。

その可能性を示してくれているのが、どっきり番組なんじゃないか。

番組を見て、どれだけの人が自分の現実に引き寄せて、考えるかは正直わからない。でも、私はその可能性を考えた。番組が、そのきっかけを与えてくれた。

だから、現実が現実ではないという可能性を考えさせる可能性がある限りにおいて、どっきり番組はこの世の中に必要だと思う。

村上春樹のものした小説に「かえるくん、東京を救う」という短篇がある。『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)に収められている。

この小説は、銀行員・片桐が家に帰ったら、大きなかえるがいた、という出だしだ。

片桐は、どっきりカメラのような悪い冗談かと疑う。当然だ。

一方、そのかえるは、東京に大地震を起こすみみず(山手線の車両大)の退治を手伝わないか、という。

この小説のメッセージのひとつは「目に見えるものがほんとうのものとは限らない」だ。

かえるくんが、自らを「非かえるくんの世界を表象するもの」でもある、と片桐にいう場面で持ち出された言葉だ。「ぼく自身の中には非ぼくがいます」とかえるくんは続ける。

その後、片桐が夢と現実の境界線を見定められない事態となる。そこで片桐は、かえるくんのその言葉を思い出す。

目の前の現実にしても、自分自身にしても、「目に見えるものがほんとうのものとは限らない」のだ。

このような考え方は、自分の思い込みに気付かせてくれ、それによるミスを防ぐというケースにもつながるかもしれない。

また、自分が思い描いている将来は、実は自分の環境・能力を活かせていないのではないかと気づく契機にもなるだろう。それにより、より自分に適した未来像を描ける。

想像力を働かせれば、最悪の事態にも思いを巡らせられる。一方、自分の新たな可能性にも気付かせてくれるかもしれない。

失敗を未然に防ぐ助けにもなり、成功を呼び寄せるきっかけにもなる。それが想像力だ。

その想像力を育みたければ、小説を読めばいい。それにより、自分の知らない世界・考え方に触れればいい。成功の種は小説にある。


毎週水曜更新します
他の曜日にもたまに