日本ではあまり見かけないけど、フランスでは頻繁にあるよ。

2009年だったか、大学の第二外国語の講義で聞いた。デモのことだ。しかし、とりわけ2011年3月の東日本大震災以降、平成の日本でもデモが活発化せざるをえない状況になった。

2016年の今年に入り、『ぜんぶ、フィデルのせい』(2008年日本公開)をTSUTAYAで借りて見た。最近1970年代を舞台にした作品を立て続けに観ていたので、その流れで観ることにした。ジュリー・ガヴラス(女性)監督初の長編フィクション映画だ。

70年代初め。フランス人母とチリ人の父を持ち、フランスで育つ少女アンナ(ニナ・ケルヴィル)が主人公だ。母の影響でカトリック系女子学校に通っている。おそらく、日本でいう小学生だ。

フランス語を話せない女の子を交えた食事場面から始まる。その同年代の子は、スペインから移住してきたおば家族の娘らしい。家族は、独裁政権下のスペインから逃げてきたようだ。

アンナの父は祖国チリの革命運動に奔走しはじめる。仲間を家に連れてきて、夜中まで革命について語りあったり、出歩いたりしている。

父の指示で、学校の宗教の時間だけ受けられなくなる。アンナだけその時間はクラスから退出させられる。

カトリックの家庭に育ったであろう、アンナの母はジャーナリストとして働く。そのうちに、カトリックの教えとは反対方向の、人工妊娠中絶推進運動に関わるようになる。中絶体験者の話を記録する仕事にのめり込んでいく。

アンナの周りでただならぬ変化が起こっている。祖母の家だったか、アンナはフィデル・カストロの話を耳にする。50年代後半にキューバ革命を指導した革命家だ。

そこで発したのがタイトルとなっている言葉だ。
ぜんぶ、フィデルのせい……

何がなんだかわからないけれど、フィデルのせいで、環境が変わってしまった。

歴史的には、革命により社会主義国化したキューバに続いて、ラテン・アメリカ、南アメリカ諸国でも革命運動が盛り上がっていったらしい。アンナの父の祖国チリでも、70年代初めに革命運動があったようだ。

アンナは、反体制のデモに連れていかれ、中絶体験者のインタビュー現場に出くわし、革命運動家たちに平等分配について熱く語られる。

政治への不満の高まっている世相は、今の日本とも重なる。そのようなとき、子どもはどのように世界を見て、抵抗して、生きていくのか。

大人だけの社会じゃない。このようなときだからこそ、子どもにも目を向けるために、見ておくべき作品だ。

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