「精神科だってさ」過ぎる少年は大人の声になりかけていて
鳥居『キリンの子 鳥居歌集』


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話題の歌集を買ってみた。鳥居は「セーラー服の歌人」、「ホームレス少女」など、商業的に宣伝されてしまっている。帯にも、カバーにも作者の情報がこれでもかといわんばかりに書かれている。ただ単に歌を読みたい者の目には、余計な情報としてしか映らない。

それらの情報のせいか、各章の生々しい題が気になってしまった。「孤児院」、「なんで死んだの」、「DVシェルター」などだ。せめて題くらいは暗示的な表現に止めるなどしてほしかった。

歌自体でひっかかってしまうのは、作者の事情なら仕方ないが、文法や学校教育の知識の中途半端さだ。これについては、作者の境涯ゆえに、指摘は避けるべきことなのかもしれない。しかし、本として世に出す以上は、そこに甘えてはならないと思う。

海鳥のつばさが風に説きわたる真夏のそらの円周率を

たとえば、ここではわざわざ「円周率」を持ち出している。円周率にそらもうみもない。3.14……と決まっているはずだ。とにかく海鳥の描く円について歌いたくて、短絡的に円周率を持ち出してきたとしか思えない。

こうして否定的に見てきたが、以下は肯定的な意見だ。とはいえ、この歌集を読みきったときには、鳥居の文学的新しさに気づき、すっかり鳥居歌集肯定派になってしまった。

歌集を読みながら注目したテーマの一つは、題にもなっている「キリンの子」だ。

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんの色

キリンの子と作品主体とを重ね合わせている。たしかに月の模様はキリンの模様にも見える。また、これは穿ち過ぎかもしれないが、月は狂気の象徴でもある。「かあさんの色」は月のような色でもあり、狂気をも伴うものとさえ読み取れる。

虐げる人が居る家ならいっそ草原へ行こうキリンの背に乗り

「虐げる人が……」の歌は、伊坂幸太郎原作の映画『ポテチ』が想起される。そこでは、主人公である男が、自殺しようとする女に電話をかける。彼は、彼女のもとにキリンに乗っていくというのだ。「仙台の街中をキリンが移動するんだよ? 見たくないの?」といって、結局自殺を思い止まらせる。

この歌でもキリンは、死に近い苦痛から遠ざけてくれる存在として登場してくる。当然、「かあさん」としてのキリンが想定されていよう。

お月さますこし食べたという母と三日月の夜の坂みちのぼる

これは、母とキリンではなく、母と月の関連付けられた歌だ。

墓参り供えるものがないからとあなたが好きな黄色を着ていく

さらには、母と黄色の関連も歌われている。
こういった歌は、「目を伏せて……」の歌の脚注としての役割も果たしていると思う。母を象徴するモチーフとして、キリン、月、黄色が歌集にちりばめられている。

この歌集は、「その人を象徴する事物や色があるっけな」という大事な些事に気づかせてくれた。ちなみに、私が気づいた「鳥居の文学的新しさ」については割愛する。またの機会にでも書きたい。





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