【ネタバレ注意】

新海誠監督作品『君の名は。』を観た。主題歌はRADWIMPS。


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岐阜県山間部の糸守町の高校生・三葉と、東京の高校生・瀧(たき)が時空を越えて、お互いの心を交換する。というより、何か不思議な力によって、交換させられている。その交換は不定期に繰り返される。三葉の身体の中に瀧の心が入ったかと思えば、元に戻る。瀧の身体の中に三葉の心が入ったかと思えば、元に戻る。

三葉の高校の古典の授業で、黄昏時の語源の話がなされる。「誰そ彼(たそかれ)」がもとになっているという。「誰だあれは」と、向こうにいる人の顔がわからなくなるとき、この世ならざるものが現れるとき。また古くは「彼は誰(かはたれ)」ともいったそうだ。紛らわしいが、三葉の住む糸守町では、黄昏時をカタワレ時という。三葉の古典の先生がいうには、糸守には万葉言葉が残っているからではないかという。

ちなみに古語辞典によると、誰そ彼時とは、夕方の薄暗い時。彼は誰時は、「主に明け方の薄暗い時。夕暮れ時にもいう。」カタワレ時は書かれていない。方言にあるのか、万葉言葉なのか、造語なのか定かでない。

瀧は三葉に会おうと糸守町を探す。三葉の家は神社だ。その神社の御神体は山の上の窪地にある。瀧は三葉の身体であったときの記憶を頼りにその山の上までたどり着く。

そこに三葉も来る。お互いの姿を見ることはできない。声だけが聞こえてくる。お互いを求め、呼ぶ声だけが聞こえてくる。

夕陽が沈みかける。ジュール・ヴェルヌにならえば、夕陽が緑色の光線となるときだろうか。カタワレ時……。お互いの姿が見える。このときだけ見える。日が沈んでしまうと、とたんにお互いの姿も見えなくなり、声も聞こえなくなる。お互いが自らの時空に戻ってしまう。瀧は三年後に、三葉は「今」に。

カタワレ時とは、片割れである相手に出会える時のことだった。もう片方の我に出会える時だった。

プラトンは、ウパニシャッド哲学の影響なのか、『饗宴』の中でアリストファネスに以下のような神話を語らせている。昔の人間は皆二重であった。四本の手、四本の足、二つの顔のように。そこでゼウスは人間を二つに分けた。それ以来、それぞれ半分は自分の半分に憧れて、一緒になろうとした。

なぜ人々が愛し合うのかをプラトンはこのように説明した。一つであったものが元に戻ろうとする。片割れが互いに求め合う。

オリュンポスの神々がいた時代に、最高神ゼウスによって人間が分割されたとするならば、片割れ同士はそのとき以来、愛の感情を燃やし続けてきたということだ。

『君の名は。』の主題歌はRADWIMPS「前前前世」。

♪君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ

二重の人間だった時代が前前前世なのかもしれない。

『君の名は。』はプラトニック・ラブ(プラトン的愛)を徹底的に突き詰めた映画といえるだろう。


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